ここ最近、気になっていることがある。
それは、職場内の恋愛事情だ。
渋谷サイキックリサーチに身を置く、僕こと、安原修は考える。
この職場で、紅一点の谷山麻衣のことを。
以前は、谷山さんが所長に気があるように見えた。
冷酷ともいえる表情で告げられる毒舌にも、堪えることなく、頬を染めて対応していた彼女の姿を見ていれば、殆どの人が、そう感じたはずだ。
だが、あの夏の一件以来、彼女から所長への恋心といったものが、感じられなくなっていた。
所長を見詰める瞳に、嬉しさと共に悲しい色合いが混じり始めた頃から、谷山さんに対して、所長の方が気にかけ構い出した。
まるで、以前と立場が逆転したかのように僕には思えた。
谷山さんが恋心を寄せていた頃、素っ気なかった所長が、今では、谷山さんに必要以上の関心を抱いている。
それは、僕自身の錯覚ではなく、今ここにあるものが雄弁に物語っていた。
「所長。おはようございます」
「おはようございます」
黒尽くめの上司に、挨拶をする。
その際、手に持っているカバンに目を向ける。
そこには、可愛らしいクマの反射材が付いていた。
子供の手の平くらいの大きさのクマが、持ち主の動きに揺れ、所長室に消えていくのを見送る。
コキコキと首を左右に揺らしつつ、残像を振り払うように、僕は、再び仕事に没頭することにした。
同僚の彼女が出勤してきてから、数時間後。
集中力が途切れてきた頃を見計らって、声をかけた。
「谷山さんが、所長にプレゼントしたんですよね。アレ」
アレ=所長が持っているクマの反射材
なことは、聞かれた方も、すぐに分かったようだ。
と言うことは、いつか聞かれると確信していたようにも思える。
僕好みに淹れてくれた、お茶を啜り、所長室の方をそれとなく窺う。
「あはは、分かります」
「そりゃあ、もう」
女子高校生。または、中学生辺りが好むデザインに付け加え、それを、プレゼントされて、所長が受け取り、尚且つ、身に着けるとしたら、これはもう、谷山さんでしか考えられないだろう。
お揃いなのかと思うものの、しかしながら、谷山さん自身は、所長と同じものを身に付けている感じがしない。現に、今持っているカバンにも、反射材は付いていなかった。
「どういういきさつで、所長に手渡したんですか」
彼女自身が所長のバッグに付けたか、手渡したのではないかと推察してみた。
誕生日プレゼントにしては遅すぎて、クリスマスには早すぎる。
彼女が、意味もなく所長にプレゼントすることはないだろうと踏んでの問いだ。
「ナルって、黒いじゃないですか」
「まぁ、所長ですからね」
彼女の言葉に、肯定する。
年中、黒い服を着ている我が上司。
長身で年上の同僚も、ほぼ似たようなものだ。
お蔭で、自分の服を選ぶときは、黒を除外して購入する癖が付いてしまっているほどなのだから。
「最近、日が暮れるのも早いし、街路灯がないところにナルがいた場合。危ないでしょう」
「まぁ。そうですね」
所長の行動範囲に街路灯の少ない場所はあっただろうか。
あと、所長が危ないのか、所長は危ないのか。
つい、深く考え込んでしまいそうになる。
「実際、暗闇にいるナルを見たとき、ドキッとしたんですから」
谷山さんが、その時のことを思い出しながら話している。
ドキッとしたのは、暗闇にいたからなのか、所長がいることが分かったからなのか。
そこのところ突っ込んで聞いてみたいなぁと思っていると、所長室の扉が開いた。
「麻衣」
「はーい」
所長に呼ばれて、谷山さんがトコトコと歩いていく。
「コレ」
「あ!ありがとう」
手渡されたモノを見て、彼女が嬉しそうに頬を緩ませている。
いったい、何を所長から受け取ったのか。
用事は済んだとばかりに、また、扉が閉じられる。
鼻歌を口ずさむ同僚の手元を見詰め、聞いてみた。
「何を持っているんですか、谷山さん」
「えへへ、コレです」
彼女の掌から出てきたのは、所長と色違いのクマの反射材だった。
「所長から、ですよね」
「そうです。ナルにあげたの実は自分用に購入したヤツだったんです。でも、暗闇にいたナルを見たら、車や自転車に轢かれるかもと心配になって、それで、身に着けるようにあげたんですけど、自分用に同じ柄のモノを買おうとしたら、もう売ってなかったんですよ。
別の柄にするのも、なんとなく、気持ちがのらなくて、どうしようか悩んでいたら、ナルに色違いだけど同じの貰いました」
頬を染めて、嬉しそうに言う彼女の姿を見て、思索する。
それは、欲しいものを手に入れられた喜びなのか、それとも、あの所長が、女子高校生が好むクマの反射材をどうやってか入手し、手渡してくれたことへの喜びなのか。
どっちもどっちなんだろうなと、僕の中で瞬時に答えが出る。
「早速、付けて帰ろう」
谷山さんのバッグに、クマの反射材が付けられる。
お揃いだなぁと、ヌルイ気持ちで眺めつつ、街路灯のない場所が帰宅時にある同僚と一緒に歩く上司を思い浮かべ、緩む頬を眼鏡を押し上げることで、目の前の少女から表情を隠し通した。